今回は論語についてです。
「顔回なる者有り、学を好めり。怒りを遷さず、過ちを再びせず。」
これは孔子が君子から好学の弟子について聞かれた時に答えた言葉です。
顔回は若くしてこの世を去りましたが、孔子は顔回が亡くなった時に「慟哭した」と言われれています。
つまり、それほど孔子にとって素晴らしい弟子だったのですが、私が気になった所は「過ちを再びせず」ではなく「怒りを遷さず」の所です
まぁ「過ちを再びせず」もすごいことだと思うのですが、それだけの人が「怒り」はあったと言うことです、そう考えると「怒り」とは人として生まれた時に備わる性なのか?とも思います。ここでいう「怒り」は自分が考える「怒り」と違うのかもしれませんが…。
「怒りを遷さず」
「怒りを自分に関係のない人にまでうつさない」ということなのですが、よくあるのが自分が怒っている時その話を人に聞いてもらいたいと思う…「聞いてよ!あれ頭に来るよね!」とかいう自分がいるのなぁ…「怒り」とは自分の至らなさからくるもので人に聞いてもらうものではないのかもしれない、ただ自分を正当化したいだけなのかも…
60歳になって改めて自分という人間を見つめ直さねば…と思う今日この頃です😅